2018.6.12

自分なりに見つけた「2代目」としての生き方


芦屋で不動産業を20年以上営む株式会社アシスト芦屋の2代目として、新しくグループ会社「株式会社アシストアセット」を立ち上げられた新谷さん。これまでのキャリアや会社立ち上げの経緯、そして今後の展望について聞いてきました。

新谷有宏さん
株式会社アシストアセット代表取締役。サラリーマン時代のドイツ駐在時に覚えたというワイン。自宅にワインセラーを設置するほどのこだわりよう。

世界に出て知った、父の偉大さ

“経営”と”世界”に憧れた学生時代

もともと会社を継ぐつもりだったのですか?

いいえ、会社を継ぐことはまったく考えていませんでした。 父は、もともと勤めていた有限会社ダイヤ商事の売買仲介部門を分社した形で、1995年に株式会社ダイヤ不動産販売(のちの株式会社アシスト芦屋)を設立しました。私が高校生、大学生のころ、経営者としての父の背中を見て育ったので、会社経営には興味がありましたが、「街の不動産屋さん」にはあまり興味が持てませんでした。また、大学時代から付き合いのあった妻の父は商社マンで、海外での生活や仕事について耳にする機会もあり、短期海外留学などもしていたので、グローバルな仕事への憧れもありました。ですから、就職活動では、経営コンサルタントや商社、あるいは早くから海外で仕事ができるような会社を見て回っていたと記憶しています。父も、そのことについては特に何も触れず、私がやりたいようにやるのを見守ってくれていました。

グローバル会社での奮闘と葛藤

大学卒業後に入社したのは、株式会社ミスミというFA・金型用部品の専門商社です。当時は、三枝匡という憧れの経営コンサルタントが社長に就任して間もないころで、私は「三枝世代1期生」として入社し、1年目から海外出張に行くなど、とても刺激的な日々を過ごしていました。もちろん、就職活動のころの思いは忘れることなく、「どうしたら少しでも早く海外赴任できるか」を常に考えながら、がむしゃらに仕事に打ち込み、その甲斐もあって当時では異例のスピード、入社6年目でドイツ赴任を勝ち取ることができました。

ドイツでは、プレイヤーとして仕事をする一方、マネージャーとしての役割もあり、ドイツ支社全体の計数管理も担っていました。4年半ほどのドイツ駐在では、プレイヤーとしては事業規模を倍程度に成長させることができ、自分自身の成長に手応えを感じました。しかし、マネージャーとして各メンバーの人件費を管理していたこともあり、勤め人であることの限界も同時に強く感じるようになっていました。そして、ちょうどそのタイミングで日本への帰任辞令が出たことで、次のキャリアについて本格的に考えるようになったのです。

グローバルからローカルへの大ジャンプ

タイミングが重なった2つの偶然

2代目として「株式会社アシスト芦屋」に入社するに至った経緯を教えてください

いくつかきっかけはあるのですが、大きなきっかけの1つは妻の出産です。ドイツ駐在時の終わりごろに2人目の子どもが生まれました。そのため、私が転職して、日本やドイツ以外の国に家族で行き、また1から生活基盤を築くのは、あまりにも負担が大きいと考えたからです。かといって、日本に戻ってする仕事は、自分にとってはスケールダウンして映りますし、再び海外に駐在できるのも数年先。ミスミにとどまるという選択肢もまた、当時の自分にとっては魅力的なものではありませんでした。

もう1つのきっかけは、父からの言葉でした。帰任辞令が出て日本に戻る旨を父に報告しました。私自身、次のキャリアについて考えていたのは事実ですが、父は父で、以前とは変わって息子に後を継がせることを考えるようになっていたんです。2012年から2013年という当時の時代背景がそうさせていました。父がリーマンショック前に実施していた合併と事業承継が落ち着き、組織的に余裕ができていたり、リーマンショックで安く仕入れた不動産を売却して資金を大きく増やせたこともあり、会社として次の成長に投資できる状態にあったようです。その当時であれば組織的にも資金的にも、門外漢である息子を入社させても育成していけるだけの余裕はある、と考えていたようでした。

そんな状況だと聞いた私は、ミスミ入社時の目標はある程度達成できたと考えていましたし、昔から、新しいことや、あまり人がチャレンジしないことにワクワクするタイプの人間でしたので、それまでまったく考えていなかった「親の会社を継ぐ」ことを決断し、ドイツから芦屋に移ることになり、2013年に、父の後継者候補、いわゆる2代目として株式会社アシスト芦屋に入社することになったのです。

激変した環境と体調

入社後、どのような点で苦労されましたか?

「街の不動産屋さん」とはいえ、芦屋という地で20年以上事業を営み、ある程度の規模に成長していたこともあり、経験できることはとても幅広いものでした。もちろん、不動産という分野はまったくの門外漢でしたので、それまで積み上げてきた経験やスキルが活かせないもどかしさはあったのは事実です。私も修行のつもりで謙虚に学ぶ姿勢でいましたが、ついついがんばりすぎてしまったのか、体調を崩してしまったこともありました。

ミスミ時代は、効率化、つまりより良く変えていくことは是だったのに、不動産業界においては、過去の財産や関係性の蓄積がとても重要で、変化に対する許容度が低いように感じました。たとえば、2013年の入社時から、実需の仲介領域は厳しくなるのは分かっていたので、収益物件仲介をやりたいと提案していたのですが、まずは修行だ、基本を学べと言われ、なかなか実行できずにいました。今思えば、最初に幅広い下積みを経験できたことは良かったのですが、そうした考え方の違いなどから、社長である父も含めて、周りからなかなか共感や支援が得られない状況が続き、孤独を感じたのを覚えています。

私が考える新しい事業承継の可能性

残すべきものと変えるべきもの

不動産業界に身を置いて5年。幅広い経験を積み、「街の不動産屋さんのあるべき姿はどんなものか」と自分なりにいろいろ考えてきました。 これまでの父の時代は、権利や信頼、財産など、それまでに積み上げてきた資産で勝負する時代でしたが、これからは変化のスピードが早く、積み上げたものだけでは勝負できない時代になっていくと考えています。もちろん、父たちが築き上げてきたものを否定するつもりはありません。むしろ、それには大いに感謝しています。しかし、それだけではなく、専門性が求められる時代になるとも実感しているのです。これからの時代に即した事業も興していく必要性を感じたため、2018年1月に、グループ会社として株式会社アシストアセットを設立しました。これまでは2代目として父の会社を継ぐことばかりに意識がいっていましたが、そのままの形を引き継ぐ必要はないと思えるようになったことが、大きなターニングポイントだったと考えています。

ファーストペンギンになる

今後の展望について教えてください

2つの意味で、まだ誰もチャレンジしていないことへの挑戦、つまり「ファーストペンギン」になりたいと考えています。 まずは事業展開において。芦屋という土地で事業を営んでいく以上、芦屋というマーケットの特殊性を考慮する必要があり、一族の資産形成・承継が重要なテーマとなります。そこで、とても重要になるのが「相続」。不動産を芦屋にお持ちでも、相続される方々は東京や海外で仕事をされていて、もう芦屋に住んでいらっしゃらない、というケースも増えてきました。その場合、複雑な手続きを、個々のケースに合わせてきめ細やかに対応すること、つまり、究極のフルオーダーメイド対応が求められます。すると、幅広い専門知識や、あるいは各分野の専門知識を持った専門家をつなぎ合わせられるネットワークを持っていることが必要になるわけです。しかも、相続する不動産は住宅に限らず賃貸に出している事業用不動産も含まれます。こういったケースには、大手の不動産会社でも、街の不動産屋さんでも、なかなか対応しきれないものなので、そういった地域や時代のニーズに応えられる自分でありたいと考えています。そのために、プロフェッショナルとしての研鑽も継続していきますし、人脈づくりにも励んでいきます。

また、事業承継で悩んでいる2代目の方の話もよく耳にします。私自身、まだ試行錯誤の最中ですが、単純に親の会社をそのまま継ぐことだけが事業承継ではないと考え、この会社を設立したという経緯もありますので、自分なりの継ぎ方、2代目としての生き方などを発信し、新しい事業承継の可能性について考えるきっかけを提供できたらいいですね。

編集後記

新しく会社を設立したものの、「”新谷有宏”という看板で勝負したい」と熱く語った新谷さん。「鶏口牛後」が座右の銘だとも仰っていました。そういった点をはじめ、お話に共感する要素が多く、今回もたくさんの刺激をいただいたインタビュー。今度は、新谷さんオススメのワインと美味しい食事をいただきながら、お話を伺ってみたいものです。(きゅう)

参考サイト:アシストアセット