2016.12.30

最高の場を守っていく


BAR芦屋日記の三代目オーナー兼バーテンダーを務める草野さん。バーテンダーとしての軌跡や大切にしていること、今後の展望について聞いてきました。

草野智和さん
芦屋の老舗バー、BAR芦屋日記 The 3rd。バーテンダー。接客へのこだわりは勿論、お酒だけではなく、レトルトカレーの「芦屋日記のビーフカレー」を全国展開させるなど守備範囲は多岐にわたる。

須澤さんのご紹介

バーテンダーという生き方

20歳でたたいた芦屋日記のドア

どういう経緯でバーテンダーとして生きていこうと思われたのですか?

お酒に興味があり、特にウィスキーの世界観が大好きでした。また、バーテンダーのライブ感に憧れていたのもあり、どうせなら自分の好きなものを仕事にしたいと考えたのが一つです。もう一つは、普通の飲食店では作る人とサービスする人は別ですが、バーテンダーは作ることもサービスすることも、さらに作ったものをプレゼンテーションすることも、すべて一人でやるというところに興味がありました。

10代の頃はパスタ屋に勤めていたのですが、そこの同僚が芦屋日記のスタッフの方とつながりがあり、お店に通うようになりました。次第に「この店で働きたい!」という気持ちが強くなり、弟子入りすることになります。それが20歳の時の話です。

たくさんの師匠の存在

芦屋日記は最初、当時のビルオーナーさんが自分の理想のバーを作りたいと30年前にオープンしました。ですが、飲食業はなかなかに難しく、当時苦楽園でバーをしていた方に「名前も内装もそのままで引き継いで欲しい」と依頼し、続くことになった経緯があります。その方が私の師匠にあたる二代目芦屋日記オーナーです。

師匠からは、本当にたくさんのことを教えてもらいました。技術的なことはもちろんですが、考え方や接客など、今の私の行動指針として深く根付いているものばかりです。今も芦屋日記が年中無休なのは、師匠の「常に開いていることが最高のサービス」という方針を守っているからです。悲しい時も嬉しい時もいつでも帰れる場所という根本は、師匠の時代から何一つ変わっていませんし、これからも変えるつもりはありません。

まだ私が見習いバーテンダーだった頃、年に360日来店される常連さんがいらっしゃいました。その人には本当によく怒られましたね。最初は怒られることがものすごく嫌だったのですが、間違ったことを言われたことはありません。「あのお客さんになぜあぁ言うんだ」といった、どれもお店のためや、私のためを思っての助言ばかり。1年半怒られ続け、ある時からは全く怒られなくなりました。今の接客姿勢があるのは、その方をはじめとする常連の皆様の叱咤激励のおかげです。本当に人に恵まれているなと思います。

最高の店を守り続ける決意

無くしたくない一心と妻の一言

師匠は芦屋日記以外にも事業を手がけており、私は21歳で店長を任された後、24歳でグループ全店の統括マネジャーに抜擢され、芦屋日記を含めた複数店舗の運営や、新店の立ち上げに携わるようになっていきました。その後、結婚を意識し始めた時期に、多忙を極める生活に区切りをつけるため一度芦屋日記を離れることになります。そして、3年弱不動産屋として働いていたある日、師匠から、私の後任の店長が問題を起こし、芦屋日記に立つ人がいなくなったとの電話を受けました。

大好きな場所が無くなるのは絶対に嫌だという気持ちから、「それなら自分がやります」と回答したのが、芦屋日記 The 3rd(三代目)を襲名することになった経緯です。オーナーになるなんて夢にも思っていませんでしたし、同じ時期に違う仕事のお誘いもあったために悩みました。ですが最後は、妻の「あなたは私が思う世界最高のバーテンダーだから、がんばってほしい」という一言に背中を押され、もう一度芦屋日記に戻る決意をしました。

どん底からの復活

5年ぶりに戻った芦屋日記は、前の店長に問題があっただけあって、私が立っていた時よりもかなりのんびりした状況でした。3年かかってやっと元通りと呼べる水準まで戻ってきましたが、何も特別なことをしたわけではありません。目の前のお客様に満足してもらうことに集中するという当たり前のことをしっかりとやっただけです。バーには景気も競合も関係無いと考えています。むしろ敵は自分たち自身。努力をやめた瞬間が店が終わる時だと肝に銘じています。

職業ではなく、生き方

バーテンダーをテーマにした漫画に「バーテンダーは職業ではなく、生き方だ」というセリフが登場します。これは本当にそうだと感じます。お酒に関する技術力はもちろん必要ですが、技術は練習すれば身につきます。それよりも接客力、ひいては、お客様の口の中、頭の中を想像し、お客様が求めるもの、喜ぶことは何かを常に考え続けることが重要で、この能力は一朝一夕で身につくものでも、練習してすぐにできるようになるものでもありません。いわば自分自身の人間力、生き方そのものを問われることだと思っています。そのための自己研鑽の努力は怠れません。

思い返せば幼少の頃から、褒めてもらうための努力は厭わない性格でした。目の前の人がどうやったら喜んでくれるかを考えることは私にとって自然なことであり、楽しいことでもあります。そういう意味では、バーテンダーという仕事は天職なのだと思います。

誰かに何かを伝えたい

妻の死と視点の変化

3年前に妻を亡くしました。妻を亡くしてから「誰かに何かを伝えたい」という気持ちをより鮮明に意識するようになりました。それまではあまり興味がなかった商工会やバーテンダー協会に入会し、ボランティアでの活動にも積極的に参加するようになりました。自分が何かをすることで喜んでくれる人が多くなるのは素直に嬉しく感じます。

加えて、スタッフに店の営業を任せざるを得ない状況になったことで、スタッフのレベルが格段に上がりました。今まではついつい任せきれなくて自分でやってしまっていただけに嬉しい誤算です。スタッフのレベルが上がることはそのままお店としての強さにもつながるだけに、より一丸となって店を盛り上げていきたいですね。

国際文化の名に相応しいバーへ

これからの展望を聞かせてください

実はあまり知られていないのですが、芦屋は日本で唯一、国際文化住宅都市に指定されています。魅力的な海外の街には昼から楽しめるバーが必ずあることを考えると、芦屋でも昼から営業しているバーをやりたいですね。昼からお酒が飲めるというだけでなく、夜のバーで提供している接客レベルを昼から楽しめるお店を作りたいです。

また、近年、日本のバーテンダーの技術は世界的に注目されています。世界大会でも言葉のハンディキャップがありながらも、優勝や入賞を繰り返していますし、その技術や所作の美しさは誇るべきものがあります。そんな日本の技術を例えばアジアの留学生に学んでもらい、自国でバーテンダーとして活躍する手助けをすることを、昼からの営業とうまく組み合わせることができれば最高ですね。

編集後記

インタビューを通じて、草野さんご自身が誰よりも芦屋日記という場所を愛しているのだと感じました。多くの人の人生に刻まれる芦屋日記同様、たくさんの人の心に刻まれる草野さんの生き方がこれからどう進化・熟成していくのか、ますます楽しみです。(あだつ)

参考サイト:BAR芦屋日記